異性へのドリーム

 個人的には、「男性作家が書く女性キャラ、女性作家が書く男性キャラは、だいたいにおいてドリームである」という持論(?)を確認できて、そこも楽しかった。(中略)
 もちろん、ドリームの発露のしかたに好感を持てるか否かというのはあって(そこは個人的好みの問題だが)、『風の影』の女性キャラの書きかた、ドリームぶりは、私は大変胸キュンで好きであった。

 三浦しをん『ビロウな話で恐縮です日記』太田出版 pp.50

 この本の中の「異性キャラクターを書くにあたって」の問題についての記述はもうちょっと続くんですが、とりあえずいちばんうなずいてしまったところを引用。
「ドリームの発露のしかたに好感を持てるか否か」って言い方がものすごくしっくり来たのです。それはたしかにわたしの中にもあるけれど、明確にボーダーラインがあるわけじゃなくて個々について「これは好き、これはちょっと……」と語るしかないから、一言で言えなくて、難しいなあ……



 ここんとこ考えてることについて考えてたら、ふっと前に読んだこの本のこの箇所が浮かんできたのです。
 異性に……最近わたしが考えてるのは男の人と女の子についてだから「女の子」に限定するけれど……女の子に夢を見ること(前々のエントリからの言い方を引き継ぐと、「少女」として見ること)は悪いことじゃないし、女の子がそういう対象に自分がなりたいと、願うこともあるのだろう、と思う。
 でも、やっぱり、男の人の方が、個人的に好意を寄せて、個人的に距離を縮めたい、関係を深めたいと女の子に求めながら、夢の中の人物であり続けることを女の子に求める(もしくは女の子の方が、そう感じてしまう)と……女の子の方が、だんだんきつくなってくるんじゃないかと、思う。


 どっちが悪いと言いたいんじゃなくて、男の人を批判したいわけでももちろんなくて、こういうことってあるよね……とずっと思ってることを言語化したかった。