最初に読んだのは小学校低学年の頃で

ある日、ナイトに会ったなら (小学館文庫 さB 60)

ある日、ナイトに会ったなら (小学館文庫 さB 60)

 小学生の頃読んださいとうちほ傑作集が、最近続々と文庫になっている。なぜか家にあったので、舐めるように何度も何度も読んだマンガたち(あんまりマンガをたくさん買う親ではなく、ねだる子どもでもなかったので、既にあるものを飽きずに繰り返し読んでいたのだった)。

 読んでみると記憶と内容が寸分たがわない。小さい頃読んだ本だと、何度読み返しても「あれっ、こんな文章あったっけ」「ここにこんな台詞あったっけ」というような発見があることが多いのだけれど、マンガだとそれがあんまりない。絵も台詞も全部見覚えがある。その安心感が心地よい。

 「あたしがバージンじゃないって知ってがっかりしてくるせに」って台詞があって、少しどきりとする。最初に読んだ頃のわたしは、この言葉の意味を知らなかった。
 今よりずーっと、「読む」こと自体が好きで、読み始めて読み終わる快楽に夢中な頃だった。意味がちゃんとわかるかどうかは二の次で、内容なんて「なんとなく」でしか把握していなかった。知らないこと、わからないことが多すぎて、自分を取り巻く世界はぼんやりしていたけれど、それを嫌だとは思わなかった。知らないから知りたい、ぼんやりしているからはっきりさせたい、という種の欲望は、あんまり持っていなかったように思う。
 そんな私の消極性を無視して時は流れて、否応なしに実体験も増えて、小学生の私がぼんやり受け流していた言葉や登場人物の態度が、生々しい意味をともなって迫ってくるようになった。
 寂しいとは思わないけれど。そんなぼんやり者の小学生の私が完全に消えて、今の私になったわけじゃないから。大人になることは木が年輪を重ねていくようなもの(原典が手元にないけれど)という、C・S・ルイスのエッセイの中の言葉を思い出す。私の中心部は、体育の授業に心から怯えていた子どもの頃の私のままだ。表層や環境は、ずいぶんあの頃と違ってしまっていても。