コメントするのは今更すぎるし長すぎるので

チョコレート・アンダーグラウンド

http://d.hatena.ne.jp/negosi/20090120

これは作者のやりすぎでしょー?
本当に自由な社会なんだったら、旧来の価値観を抱き続けることも許してやれよ。作中の国民たちがチョコレートの差し入れという嫌がらせをするのは別にいいんだけど、捜査官をチョコ好きにさせて菓子店を開かせるのは行き過ぎじゃないか。これじゃあ「チョコレートを食べて幸せになろう」という思想も、自由の象徴じゃなくて、「チョコレートを好きにならなければいけない」という抑圧になっちゃう。甘いものを禁止する健全健康党と同じじゃん。

 作者のやりすぎ、ととらえることもできるけれど。
 大学の授業で聞きかじったことですけど、昔話には悪役に「そこまでしなくても……」と思うような酷い罰を加えるものがありますよね。でも「そこまでしなくても」って眉をしかめるのは大人の発想で、主人公に感情移入しておはなしを楽しむ子どもたちは、それくらいこてんぱんに悪役がやっつけられた方が安心するのだそうです(もっとも今は、悪役を改心させてめでたしめでたし、というふうに改変された絵本なども多く出回っていますが)。
 だから、一応児童書であるこの本で、捜査官までチョコ好きになって主人公側完全勝利! ……っていうのはやりすぎじゃないかもな、と思いました。作者がそういうことを意図していたのかどうかはわからないけれど。

荒野の恋

http://d.hatena.ne.jp/negosi/20080902

ちょっとネタバレ的なことを言うと、最初は潔癖症だった主人公がやがて人が自分に触れることを受け入れていく、最初は眼鏡越しに世界を覗くのが好きだった主人公がやがてコンタクトに変えて世界のすべてをそのまま見ようと思う、それなのに、最初セックスに嫌悪感を抱いて自分は大きくなってもこんなことはしないという決意はそのまま変わらないのはなぜなんだろう。それはやっぱり恋愛をする上で避けては通れないことだから、いずれは克服すべき点であると思うんだけど。

 たぶん、まだ16歳だからだと思います。嫌悪感の方が上回っているのは。わたしもそうだったし今もときどきそうなるような……というのはおいといて!
 うーん、嫌悪感や恐怖と、興味関心・「やってみたい」という気持ちの割合はひとりひとり違っていて、荒野にとってはまだ嫌悪感の方が大きいんだと思います。