「母と娘」の姿が、私にとって腑に落ちる形で書かれている本に、強い思い入れがある。『星に帰った少女』とか『卵と小麦粉それからマドレーヌ』とか。それはやっぱり、私自身が、自分が母の娘であることに悩んでいた(いる)からなのだろう。
母に言われて傷ついた言葉は、幼少期のものでも比較的最近のものでも、よく覚えている。でも母にそのことを伝えたとしても、その発言自体覚えていないことが多い。「そんなこと言ったっけ?」多分とぼけているわけではない。本当に、記憶に残らないくらい何気ない言葉だったということ。
 逆もあると思う。思春期に、「私なんか産んでくれなくてよかったのに」系統の、酷い言葉を投げつけた覚えはある。でももし、私が母を本当に傷つけた出来事なり言葉なりがあるとするなら、それは私自身が覚えていないような些末なことなんじゃないかと。
 虐待とか毒親とか、そういうことは一切ない。大事に育てられた第一子の戯言だと自分でも思う。ただただ、母とは気質が合わなかった。合わない人と一緒に暮らすのは、愉快なことじゃなかった。
妊娠がわかって、母子手帳を発行してもらった時、保健センターの女性(おそらく私と同年代)は私の出身地を聞いて、それなら里帰り出産するでしょう、というようなことを言った。前の職場の、様々な年齢の女性たちにも、里帰り出産しないの? なんで? と不思議がられた。それくらい、多くの人にとって、実母の世話になるというのは楽なことなんだな、と感じた。私はそれに共感できない。嫁いだばかりの場所で産むこと、実家に帰って産むこと、どちらも何度も想像してみたけれど、はるばる遠い実家まで帰って、母と毎日顔を合わせる生活をする方が、自分にとって良いこととは思えなかった。それに、飛行機で行き来する距離だから、実家で産んだら夫がちょくちょく様子を見に来たりできるわけじゃない。それよりは、里帰りせずに産んで、夫と一緒に子供の様子を見られる方が心強い。

 そんな私の、お腹の中の人の性別がわかった。女の子だそうだ。「母と娘」の「母」の側に、自分がなるわけだ。母に言われて(されて)、自分を否定されたような気がして嫌だったから、自分の子供にはしないようにしよう……と決めていたことはいくつかあるけれど、私の子供だからって、私と同じようなことで傷つくとは限らないわけで。よかれと思ってしたことが、逆効果、ってこともきっとあるわけで……。ううむ。
 と、こんなことまでつらつら考えてしまったけれど。とにかく、無事に出てきてほしい、というのが今一番大きい。今のところ、逆子でもなく、大きさも普通、心拍も正常、順調すぎて怖いくらいだけれど。このまま何事もなく出産できるといいなあ。