別のところに書いたもの

 記憶の捏造じゃなければ小学校にあがる前から、自分なんか死んじゃえばいい、この世にいなければいいと日常的に思っていた。
 なんで、と訊かれてもよくわからない。動作がゆるやかで集団行動に遅れがちな子どもだったから、「みんなについていけない自分はダメな子」って思うようになったのだ、と言ってしまえばそれらしいけど。そういう出来事は、死にたい気持ちを強める要因の一つではあったけど、そういう気持ちが生まれる原因じゃなかった気がする。生まれつきそういう傾向があって、それがいくつかの出来事によって強まった、という方が自分としてはしっくりくる。

 自分がしょっちゅう「ああ死にたいな」「生きるのやだ」って思うものだから、人もそうだと思い込んでいて、小学校低学年のとき友達にそれを喋ったらびっくりされて、みんながみんな「死にたい」って気持ちを常に抱きながら生きてるわけじゃないんだー、と気づいて、びっくりしたものだった。

 「生きるのつらい死にたい」と「そんなこと思っちゃいけない」はずっと1セットだったからか、そのうちつらいのと、つらくないのの境目がわからなくなった。後から振り返れば「あの時ほんとつらかったんだろうなー」って思うけど、さなかにいる時は自分がつらいってことをわかっていない。わかってないのかわかってない振りをしているのかもわかってない。区別がつかない。

 子どものうちの、「自分はダメな子だから、要らない子だから、生きてちゃいけなんだ」って思いこみというか絶望は、今思い出してもぞっとする。それがあるから、子どものうちはよかったとか子ども時代に戻りたいなんてこれっぽっちも思わない。絶対戻りたくない。

 大人になればこんなことなくなると思ってたけどそうでもなくて、大学卒業してから「生きるのつらい、死にたい」の勢力は増した。先月後半は特にひどくて、苦手なこととかできないことが多すぎて生きていくのが怖い、って気持ちがどんどんふくらんで息苦しくて、寝るのも起きるのもごはん食べるのも動くのもつらくなった。でももし誰かに「つらい」って言って「そんなの甘え」って言われたらほんとに生きていけなくなる気がして怖くて、言葉にして吐き出すのも躊躇した。

 まだやりたいことがあるから、会いたい人がいるからといった気持ちより、死にたい気持ちが前に出てきた。死にたいのと、実際に死ぬための行動をすることの間の高い壁を、越えようとはしたことはないけれど。