観測される安心

ちょっとばかり、シュレーディンガーの猫みたいだ。
観測者が「ある」と言ってはじめて、この世に存在するほうに傾く。
http://andante-d.way-nifty.com/blog/2009/12/post-7554.html

 「女子ってなんで自分の恋愛の進行状況他人に喋るの」というような一文を見た時に、ふっと浮かんだのがこの一節だった。
話すことで、知られることで、観測者を得ることで、自分がそういう(恋愛)状況の中にいる、ということを確かめることができて、安心するんじゃないかな。なんてね。
 どうやら女の子によく見られるらしいのは、なんでだろうね。(多くの)男の子にとってはそんな方法を使って確かめなくても「ある」ものが、(多くの)女の子にとっては観測者がいないと輪郭がはっきりしないくらい不確かなもの、なのかな。