自分の声が大嫌いだけど

 絵本の読み聞かせをすることや、ストーリーテリング(昔話や創作童話などの、お話を覚えて語ること)が好きなのは、「お話を覚えて語る」って過程を経ることで、普段は嫌いな自分の声が濾過される感じがするから、だと思う。
 自分の声や話し方が、普段ほんとに嫌いなのだ。誰かと喋ってる途中で、自分の声は耳障りだなあって、嫌になることもある。人への媚びへつらいが含まれていて、耳につく黄色い声で。でもそういう、普段は含まれている嫌いな成分が、覚えたお話を語る時の声からは抜け落ちてる……気がする。

 「素朴に語る」ことが求められ、大げさすぎる演技はむしろ諌められる点も性に合ってるんだろうな。お話を語るのは「自分」だけれども、あくまで「お話」が主役、「自分」は単なる語り手でわき役、なのが落ち着く。歌や演技*1ほど自分を押し出さなくていい……ような気がする。

 自分を「見せる」のが苦手、見られる側に立つのが苦手だと、その手のことからは小学生の時から逃げ続けているわたしはもちろん人前で話すのも苦手だけれど、絵本を読み聞かせたり「覚えたお話を語る」ことは、苦にはならない(緊張はしますけどね)……その理由はそのあたりにあるんだろう、と考えたら、納得がいった。

だめといわれてひっこむな (愛蔵版おはなしのろうそく (5))

だめといわれてひっこむな (愛蔵版おはなしのろうそく (5))

*1:これらに、本格的に取り組んだことはないから的外れなことを言っているかもしれないけれど