「女の子らしさ」の内面化

 「女の子」はそんなこと言っちゃいけないしちゃいけない、そんな欲望を持っちゃいけない……私は、そういう抑圧を過剰に内面化してるんじゃないかと思うことがある。他人と比べようがないから、人よりこの程度がひどいかどうかなんてわからないけれど。

「二次元の女の子になりたい」

 わたし、男性視点から見て魅力的な、いやな言い方をすると「都合のいい」女の子になりたいんだろうなあ。実際に女の子の内側を体験したことのない人が作った「女の子」像の方を、余計なものがくっついてなくてきれいだと感じていて、そうなりたいと思ってる。でも、もちろんそんなのは無理な話。現実世界で生まれた時から女であるわたしは、邪魔なものを持ちすぎていて、「きれい」と感じる女の子像に近づけない。
 アイマス好き*1な理由の一つも、そのへんにあるような気がする。あれに登場する女の子たちは、長所もあるけれど欠点もあって、でもその欠点は「かわいい」と思える程度のもので*2、丸ごとプロデューサーさんに愛されている。現実世界で自分が、そういう風に愛されることはありえない……誰かに好かれることがあったとしても、現実の自分は年をとるし、嫌な部分もたくさんあるから、いつか愛想をつかされたり飽きられたり決定的に嫌われたりするんじゃないかという不安は尽きない。だから架空の、愛されるように造形されたキャラクターにいれこんで充足する。

 こういう、作者コメントから何から愛情あふれる動画見るとなんだか嬉しい。「嬉しい」には、外側の立場から見て微笑ましいとかいろんな成分が含まれてそうだけれど、わたしが女で、架空の女の子キャラの立場になら立ってみることが可能だから……っていうのも少しはあると思う。愛される幸せの追体験ができる、のかな。恥ずかしー言い方だけれど。

*1:実際ゲームやったことなくてニコ動で見てるだけでもこう名乗っていいのならば

*2:このへんは好みによるのだろうけれど